01「どこでも一人で行きたい」その願いに、車いすが追いつくまで
岐阜県各務原市。介助犬と一緒に電動車いすで走る松山さんは、よく笑う。福祉系企業で完全在宅の働き方で仕事をし、地元の小学校では年間10校ほど福祉教育の授業をする。依頼があれば講演のため全国へ出かけ、年に一度は旅行もする。岡山で講演があり、講演が終わり次第、そのまま新幹線で東京に用事があるからと東京へ向かうこともあった。東京へ行けば、予定の合間にディズニーリゾートへ足を延ばすこともある。
「私、どこでも一人で行きたい人なんで」
その一言だけを聞けば、昔から行動的な人だったように思える。けれど、松山さんの外出は、長いあいだ「行きたいから行く」という単純なものではなかった。出かける前に、まず「この身体で一日もつか」を考えなければならなかった。
カバンで、倒れていく身体を止めていた
20代の頃から使っていたのは、簡易型の電動車いすだった。好きで選んだというより、それしか選べなかった。自宅の通路は狭く、重い電動車いすでは床への負担も心配だった。地方のコミュニティバスは小さい。100kgを超えるような電動車いすでは、乗ることそのものが難しくなる。
「大きい電動だと家に入れない。その時住んでいた家が、重い車いすだと床抜けそうなお家だったので」
ところが、軽い簡易電動には、松山さんの身体を支えるために必要なティルト・リクライニング機能がない。長く座っていると、身体は少しずつ前へ倒れていく。自分では元に戻せない。ベルトをしても止まらない。
そこで松山さんは、膝の上のカバンを「重し」にした。身体がそれ以上前へ倒れないように、カバンで支えた。車いすに身体を合わせるための、苦肉の策だった。
「カバンを重しにしてたぐらいで。これ以上倒れないように」
遠くへ出かけるときには、目的地だけを調べればいいわけではない。「途中で横になれる場所があるか」を先に探した。ずっと座っていることがつらかったからだ。電車なら、乗る駅と降りる駅にスロープ対応を頼む。店の入口に一段あれば入れない。映画館では車いす席が最前列で、首を上げ続けるのがつらい。外出には、いくつもの小さな壁が連なっていた。
オーダーの電動車いすも二度つくった。それでも、自分の暮らしに合う一台にはならなかった。松山さんは「妥協をして乗ってた」と振り返る。H.C.R.にも足を運んだ。目的の一つは、新しい製品を見ることだった。自分が求める条件を全部満たすものはないか。探し続けていた。
そんなのがあるなら、私も望んでいた
転機は、介助犬を通じて知り合った石川県の仲間から聞いた話だった。その人も重い障害があり、日常的にティルト・リクライニングを必要としていた。必要な車いすがないため、介助する人に車いすそのものを倒してもらい、姿勢を保つことさえあったという。
その仲間が、軽く、コンパクトで、しかも電動でティルト・リクライニングできる車いすの開発に関わっていた。
「いや、そんなのがあるなら、私も本当に望んでいることだし」
「早くできればいいな」。二人はそう話していた。介助犬と暮らすようになり、もっと外へ出たいという気持ちは強くなっていた。身体を支える機能はほしい。でも大きく重い車いすでは、家にも店にもバスにも入れない。必要だったのは、どちらかを諦める車いすではなかった。
やがて今仙技術研究所でLight6の最終試作ができあがり、実生活で試してくれるモニターを探す段階になった。会社の近くに、まさにその車いすを待っていた松山さんがいた。ここで初めて、松山さんと開発担当の後藤浩之さんがつながる。Light6は松山さん一人のために開発された製品ではない。けれど、最後の仕上げには、松山さんの暮らしそのものが試験場になった。
図面の上では分からないことが、道の上で起きた
モニター期間はおよそ1年。松山さんは、完成間近の車いすを「大事に」使ったわけではない。普段どおりに使った。長い距離を走り、電車に乗り、踏切を渡り、街へ出た。だからこそ、開発室では見えなかった問題が出てきた。
走行中に前輪が割れた。踏切のレールの隙間、小石、路面の凹凸。わずかな振動でも、常に身体に痛みがある松山さんには大きな負担になる。
「多分ほかの方が耐えられる振動でも、私にとっては結構苦痛」
松山さんが伝える。後藤さんたちが調べる。前輪は見直される。チルトの動きに不具合が出れば、部品にベアリングを加える。机上で「使える」と判断したものを、暮らしの中でも本当に使えるものへ近づけていく。
完成品を利用者に渡したのではない。利用者が使ったことで、完成品の方が変わっていった。
02「いつになったらできるんだ」世界にもほとんどなかった一台をつくる
松山さんがLight6に出会うより、さらに何年も前。物語は2012年ごろの石川県から始まっていた。石川県リハビリテーションセンターのバリアフリー推進工房から、今仙技術研究所へ相談が持ち込まれた。
「電動車いすで、軽量コンパクトなものが必要なユーザーがいる」
要求された車体重量は、およそ50kg。一般的な電動車いすが100kg前後、海外製では150kgほどになるものもあった時代に、半分近い重さを目指す。しかも、ただ軽くすればいいのではない。重度障害のある人の姿勢を支える電動ティルトとリクライニングを載せ、狭い日本の家のL字通路を曲がれるほどコンパクトで、小回りが利き、安全でなければならない。後藤さんによれば、電動ティルト・リクライニングを備えながら、ここまで軽量・コンパクトというコンセプトの製品は、当時の世の中にほとんどなかった。 「なかった」のには理由があった。条件同士が、互いに矛盾していたからだ。
軽くすると弱くなる。小さくすると不安定になる
フレームを軽くすれば、強度や耐久性には不利になる。車体を小さくすれば、安定性には不利になる。ティルトやリクライニングの機構を加えれば、部品が増えて重くなる。軽さ、小ささ、姿勢保持、安全性。そのすべてを一台に入れようとすると、一つを良くした瞬間に別の一つが悪くなる。
後藤さんは、開発の途中から機構設計を引き継いだ。最初の試作車は前輪駆動だった。小回りは利いた。ところが傾斜を走らせると、後方の安定性が足りなかった。
「これはどうしようもない」
そこで後輪駆動へ変えた。今度は安定性が良くなった。しかし、小回りが悪くなった。求めていたL字通路を曲がれる性能に届かない。
前輪駆動ではだめだった。後輪駆動でもだめだった。ならば、どうするか。今仙技術研究所ではそれまで手がけたことのなかった「中輪駆動」に挑むことになった。世にある中輪駆動の機構を参考にしながら、一から形にしていった。
試して、だめなら戻る。形を変える。また試す。前任者の時代を含め、開発には5、6年を要した。後藤さんが引き継いでからも、後輪駆動を詰め、それでも届かず、中輪駆動へ変え、そこからさらに数年。
「うちの会社の中でも「いつになったらできるんだ」って言われながら開発を進めてました」
「来る日も来る日も、やってはだめ、やってはだめの繰り返しだったのか」と聞かれ、後藤さんは「しばらくそれが続きましたね」と答えている。
100kgを、50kg弱へ
重量との闘いも続いた。フレームは解析し、必要な強度を残しながら、省けるところを探した。設計を根本から見直した。さらに大きかったのがバッテリーだった。従来の電動車いすでは、鉛バッテリーだけで約30kgになる。Light6ではリチウムイオンバッテリーへ切り替え、バッテリー重量を約2kgまで落とした。
同等の機能を持つ今仙技術研究所の従来機が約100kg。それに対してLight6は50kg弱。単に部品を小さくした結果ではない。駆動方式を変え、フレームを削ぎ、電源まで変え、車いすそのものの成り立ちを組み直した結果だった。
それでも後藤さんは、この開発を「成功物語」としては語らない。
「自分の中で60点くらい。もっとやりたいことはいっぱいありましたね」
なぜ、途中でやめなかったのか
5、6年。試作しては壁に当たる。会社からは「いつになったらできるんだ」と言われる。それでも開発が止まらなかった理由を、後藤さんは技術者らしい静かな言葉で話している。
試作機ができるたび、実際にその車いすを必要としている人に乗ってもらった。そこで聞くのは、性能表の話だけではない。その車いすがないために、今の暮らしで何に困っているのかという話だった。
「ぜひこの車いすを製品化まで持っていって、何とかより自立した生活が送れるようにしていきたい」
「できるかどうか」だけを考えていた設計課題が、「この人が動けるかどうか」という課題に変わる。後藤さん自身、車いすの仕事を希望して入社したわけではなかった。けれど、一台を機構担当と制御担当の少人数で仕上げ、自分がつくったものによって利用者がH.C.R.の会場まで来られる。その手応えが、この仕事を続ける理由になったという。

そして、松山さんの暮らしが動き始めた
Light6に乗るようになって、松山さんの外出は変わった。まず、長い時間座っていられるようになった。身体がつらくなれば、ティルトとリクライニングで姿勢を変えられる。「どこで横になれるか」を先に探してから出かける必要が減っていった。
新幹線に乗る機会は「めちゃくちゃ増えました」という。以前は一室しかない多目的室を確保できなければ普通席へ移乗しなければならず、揺れる車内での移動は大きな負担だった。今は車いすのまま過ごせる。何か特別なことをするのではない。ただ、新幹線の中で、自分の車いすに座って目的地を待つ。それができることが大きかった。
そして、ずっと行きたかった場所へ行った。ディズニーリゾートだ。Light6になって「行ける」と思い、ホテルまで予約した。ところがコロナ禍で一度は断念する。感染状況が落ち着いて、ようやく実現した。近くに住む長年の友人と、現地集合、現地解散。
「いやー、めちゃくちゃ嬉しかったですね。もうだって、ずっと行きたかったところなので」
その後は、東京へ行く予定があると、時間と気候が合えばディズニーリゾートへ寄ることもある。周囲から「東京の会議とディズニー、どっちがついでなの」と言われるほどになった。松山さんは笑う。そして周囲も、その姿を喜んでいるという。
「「出かけられるようになったんだね」って」
H.C.R.も変わった。以前は一日見て回るだけでも身体への負担が大きかった。今は時間をかけて会場を回れる。狭い店にも入れる。講演の依頼があれば遠方へ行く。行ける場所が増えると、次に行きたい場所が生まれる。
「本当に範囲も見る景色も変えてくれましたね」

完成したのに、「60点」
ただし、ここで物語は「理想の車いすが完成しました」で終わらない。Light6には、軽さを実現したからこその弱点が残った。バッテリー容量を抑えたため、連続走行距離は10km弱。屋外の大きな段差にも強くない。もともとは屋内中心を想定した車いすだった。
ところが松山さんは、そのLight6で外へ出た。しかも、開発者の想定以上に遠くへ行った。東京駅や大阪駅では、ホームから外へ出るまでにかなり走る。混雑で遠回りすることもある。目的地に着く前からバッテリーを使ってしまう。
「その先、楽しめなくなっちゃう」
開発者が軽くするために小さくしたバッテリーを、利用者は「もっと遠くへ行くために増やしたい」と願う。矛盾は、製品化したあとにも続いている。
だから後藤さんの「60点」は、失敗の点数ではないのだろう。Light6によって初めて見えた次の課題が、まだ残っているという点数だ。Light6の軽さとコンパクトさを残しながら、屋外の走行性能を高めたい。バッテリーも見直したい。後藤さんたちは、すでにその先を考えている。

まだ、飛び立てていない
松山さんにも、まだ越えていない壁がある。飛行機と船だ。技術的に乗れないわけではない。けれど、飛行機では車いすを預けなければならない。重さや幅を事前に申告し、自分から見えない場所で扱われる。
「自分の足を預けるってなると、なかなか気持ちの面でもハードルがかなり高い」
Light6ができたことで、松山さんの「行けない」は大きく減った。すると今度は、飛行機に乗りたい、船にも乗ってみたい、まだ行ったことのない県へ行きたい、という新しい願いが生まれた。
福祉機器が人の願いをかなえる、と言えばきれいすぎるかもしれない。実際の開発は、前輪駆動で失敗し、後輪駆動でも届かず、何年も試作を重ねる地道な仕事だった。完成しても60点。利用者からは、また次の注文が届く。
けれど、その試行錯誤の先で、一人の人が「ずっと行きたかった」ところへ行けた。新幹線に乗り、友人と待ち合わせ、学校へ行き、全国へ出かけるようになった。
世界にもほとんど例のなかった一台をつくったことの価値は、50kg弱という数字だけにはない。
その一台によって、松山さんの行動範囲が広がった。見る景色が変わった。そして、次に見たい景色まで増えた。
一台の車いすは、完成したら終わりではない。使う人がもっと先へ行こうとする限り、つくる人の仕事も、その先へ続いていく。
